■2006/02/24 (金) 神を信じますか、と尋ねられても…。
心理カウンセラーのテンメイです。
以前、駅前で突然話しかけられました。
「ちょっとすみません。お時間いいですか?」
「あなたは、神を信じますか?」
んー、なんて答えたらいいんでしょう。
私、特定の神様、いませんので。
クリスマスも楽しむし、お正月も御参りに行くし…。
勉強の神様と、商売の神様は、違うし…。
聖書を片手に持った彼女に、私、答えました。
「信じるような、信じてないような…」
急に彼女が、嬉しそうに話を始めました。
聖書を開けて、ある文面を読んでくれました。
私、別にイヤではなかったので、聞いていました。
質問もしてみました。その都度、彼女は聖書のページをめくり、
答えを返してくれます。ソレはそれで、いいのですが、
思わず尋ねてしまいました。
「聖書の中から、答えを探すのは結構ですが、あなたの考えは?」
細かなやり取りは省略しますが、彼女の考えは、
神に生かされている、神のおぼし召し、聖書に答えがある、
という考え方のようでした。
私、別に意見や批判、非難をするつもりは、全くありません。
誤解しないでくださいね。認めていない、とも違いますからね。
正直な感想は「彼女は強いなぁ」という印象でした。
何があっても、受け止める力や考え方、支えを持っています。
意地悪な質問をしても、試練として捉えている感じです。
聖書に全ての答えが書いてあるという、自信と安心感。
それはそれで、イイと思います。
こんな生き様もあるんだと、思いました。
でも、あまり笑わなかったので、気になって最後に聞いてみました。
「その本に答えがあるのは、楽しい?」
ちょっと、顔を伏せたのが印象に残っています。
多分、今までにそんな風に切り返されたコト、
なかったのかもしれません。
ある意味、マジメに生きてきたんでしょうね。
自分の考えや意見、正解か間違ってるかどうかを、自分の中で
決めない生き方を、ずっーと、続けてきたかも?
自分が楽しいかどうか、の質問に、一瞬、言葉が詰まる。
彼女の過去や今に、私、関心はありません。
まして、聖書や宗教をどうこう言うつもりも全くありません。
支えがある人は、ある意味、強いです。
それは、それで素晴しいと思います。
でも「あなたは、あなたなんですから」
そこのところ、今一度、考えてみませんか?
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